健常児と障がい児の両方を長年見ていて、感じることが沢山あります。

かかわり方は、ピアノレッスン・音楽セッション・プレイセラピーと内容は異なりますが、彼らの違いはいったい何なのか?小学校入学時に普通級で行けるかどうか判定がなされ、なんとか普通級に入った子も途中で支援級に変わりと、兎に角線引きしたがるのがこの国の教育です。そういう教育を受けてきた大人たちも、当然のように線引きをしたがります。

カナダに2度遊びに行った時に、障害に対する線引きのなさに驚きました。その上に貧富の差でいい教育や療育が受けられないということがないように、小学校に行くまで手厚く手を差し伸べています。その後の小学校は、全員が同じ教室でに通うと聞きました。このような教育を受けて育てば、健常児も障がい児も線引きをしなくなります。

私が今の仕事を始めてから既に30年近くの月日が経っていますが、いまだに障がい児に対する線引きは変わっていません。どこに行ったらいいかという悩みは、一向に解決されていません。

私が両方を見ていて思うことは、障がい児の方が優れていると思うことも多々あります。勿論、理解度が同じと言う訳にはいかない場合でも、手厚く指導すれば、健常児よりずっと優れた能力を発揮している生徒は多くいます。

反対に、健常児と言われる子たちはゲームや塾通いに明け暮れ、ストレスを弱いものに向け発散させ、親子の会話もないまま大人になってしまう・・・こういったケースがどれだけあることでしょう。

障がいを持った子どもたちのいい面を探し出し、それを取り入れて暮らしを充実させていき、そのお返しとして彼らに必要な手助けをするという構造は作っていけないものだろうか?お互いに助け合えたら、お互いの生き甲斐が増えていきます。

生き甲斐が増えれば引きこもりも少なくなるし、障がいを持った子どもたちが、自信の持てない毎日を暮らすことも少なくなっていくでしょう。

私の生徒の中に、なんでもできないできないと思っている子が沢山いるのが気がかりです。できないのではなく、どうせできないからと、やらせない場合もある気がします。時間はかかるかもしれないですが、なんでもやらせてくださいとお母さん方に言いたいです。

ピアノレッスン・音楽セッションを通して私が感じてきたことを、少し書いてみました。