スイスで演奏活動をする友人が一時帰国して、3時間余りお喋りをしました。

日本のみで音楽教育を受けた者と、桐朋卒業後に海を渡った友との、歩んできた人生の違いが興味深く、あれやこれやと深くか浅くか、残念ながら時間が短く多くは聞けませんでしたが、お喋りというよりインタビュアとなりました。

スイスのチューリッヒと言っても、10分車に乗って行ったところはもう村です。そこに家を買い、スイス人のチェリストの夫とチェロ弾きを生業として○○年。

最初にドイツに渡った時はドイツ語を全く話せず、そこからスタート。ドイツ語の会話が可能となると同時に、音楽的耳も日本人とは異なったものになったと思われます。

ヨーロッパのオーケストラの響きの素晴らしさをここで語る必要はありませんが、その中の少数の日本人がいても、それは決して害にはならず、元々耳のいい日本人奏者は直ぐ同化していくでしょう。

しかしその逆はどうかというと、日本のオーケストラの中に数人の伝統の響きが入り、伝統の指揮者が語り掛けても、いつまでたっても伝統の響きには足元にも及びません。

クラシックを心から愛する人に、日本のオーケストラの硬い響きは受け入れられません。私もアムステルダムで、アムステルコンセルトヘボウの田園を聴いた時から、日本のオーケストラの音が受け入れられなくなりました。

こういったことから、彼女のスイスでの生活から学ぶことは多く、東京は教育環境が整っていても、人間は育たないところ、心は育たない所だと痛切に感じました。

そんな環境で、セラピストとしてのセッション・教育・演奏を通して、最も大切なことは心を育てること。そのことを肝に銘じ、私自身がセラピストとして向上していく必要があります。