毎日新聞 2002.4.17掲載
効果上げる「芸術療法」「この曲弾いて」
当時4歳だった自閉症の女児は、絞り出すような声でそう言うと、坊啓子さんの手をピアノの鍵盤の上に乗せ、お気に入りの童謡を弾くように、せがんだ。「初めは口もきかなかったのに、初めて言葉を発してくれたんです。うれしかったですね。」高輪メディカルクリニック(東京都港区高輪2)の音楽療法士、坊さんは3年前を振り返る。
音楽療法は、第二次世界大戦後、米国の病院がけがを負った兵士の心身回復に利用したのが始まりとされ、日本では日本音楽療法学会認定の音楽療法士約500人が医療機関などで活躍している。
坊さんの治療は週1回、約1時間。後半の10分間は母親と一緒だが、残りの50分は坊さんと子供のマンツーマンだ。最初は子供が好きな曲やリズムを聴かせ、やがて4拍子を3拍子に変えたり、明るい曲を悲しい曲調にするなど徐々に曲を変化させる。「視線も合わせなかった子供が、『何か違う』と私の顔をのぞき込む。外の世界と向き合い始めた証拠です」と話す。
坊さんが音楽療法士を始めたきっかけは当時、中学生だった長女の不登校。不登校を克服後、「苦しい時、好きだった歌にとても救われた」と話したのを聞き、音楽の力に注目した。資格を取り、10年間で自閉症スペクトラムなど発達障がいを中心に約70人の患者を診てきた。最近は心身症などで訪れる患者も多いという。「自閉症スペクトラムの子供は社会のリズムと合わせるすべがなく、自分の殻に閉じこもりがち。音楽は人間的なつながりを取り戻す力になります」と話す。
Yomiuri Weekly 2002.11.7号掲載
音楽が閉じた心を開く
両親の問いかけにはほとんど答えず、家にこもりきりだった5歳のA君が坊さんのもとに通い始めたのは、約1年前。当初は部屋に入るなり、床に寝そべってしまった。太鼓で軽快なリズムをたたいても、一向に反応しない。突然、起き上がったかと思うと、走り回るだけだった。
ところが半年を過ぎたある日、アニメ映画「となりのトトロ」の挿入歌「まいご」を聴かせたところ、A君はスピーカーのそばまで寄ってきて、じっと曲に聴き入り始めた。そして、坊さんの顔をのぞき込んだのだ。
「それまで、さまよっていた視線を私に向けてくれたんです。心を開き、外の世界と向き合い始めた瞬間でした」と、坊さんは振り返る。
A君は聴きたい曲を要求するなど、少しずつ自発性が表れ、会話も増えていった。今春には、小学校に入学し、友達もできたという。
現在、坊先生のもとで、3歳児から小学6年生まで10人が週1回、セラピーを受けている。坊さんによると、自閉症の改善には個人差はあるが、早ければ半年程度で変化が見られるという。
「音楽には、人の心に訴える力があります。自閉症スペクトラムの子どもたちは自分の殻に閉じこもりがちですが、音楽は人とコミュニケーションをとるきっかけを与えることができるのです」
『好きを仕事に!-女性(わたし)が創る・活かす・変える・続ける』
出版 雄山社
江園啓造・山本のりこ・平尾俊 著
2006.1.20 発行